先日、たまたまつけたテレビで「在宅で看取りをされる方が増えています。どんな不安をかかえながら過ごされているのでしょう・・・」と取材の場面がありました。国はどんどん在宅へと考えており、たしかに最近は「病院に長いこと置いてくれない」というイメージが定着してきたようです。そしてメディアでも、そんなことを取り上げていますが、どうも、明るいイメージがわかないことに悶々とします。(こんなテーマを取り上げていただくことは、大変うれしいのですが)
取材記者「不安ですよね」⇒「そうですね。一人で介護しているので・・・不安も多いですよ」
こんなやりとりを見て「大変そうやな」「病院のほうがええな」と感じるのが普通でしょう。でも現状は、これが実態!と言われればそれも頷けます。しかし、実態のまま映し出し、伝えることで、一体なにを期待してのことなのか、疑問に感じます。
それより、いかに「いいこと」なのか。「病院じゃなく、自宅がいいよ」と感じてもらわなければ、「病院から退院させられた」と言いながら帰宅される方は減らないのではないかとも感じます。
私事ですが、昨日、私の叔母が永眠しました。今、横で眠っています。
叔母は、私の母(叔母の妹にあたります)とは対照的で、本当に自由に生きてきた人でした。15年前に母が亡くなるときに叔母のことを「子供もいないから、あんたたち(私と姉)にも迷惑かけるかもね。」と何かと心配していました。でも、当時まだ60代の叔母は、カルチャースクールに通ったり、ボランテイア活動に参加したり、若い友人と食事に行ったり、活動的でした。が、70代になってから、神経難病にかかり、癌がみつかり、肝硬変・・・そして食道静脈瘤破裂・・・入院していることが多くなりましたが、でもやはりリハビリ病院で聞いた言葉、「リハビリして、また株やるよ」「もうこんな年だし、好きにしたいと思うわ。だから、歩けるように維持しとかな」「家に帰るよ。だれがなんと言おうと」など、何とも非現実的ではありながら、叔母らしい言葉を聴き「よっしゃ、がんばって!サポートするよ」と言ったことが、今日、懐かしく思えています。
こんな叔母も一人暮らしの中、大量に吐血し救急搬送されることもあったりで、急性期病院⇒リハビリ病院⇒在宅サービスにて一人暮らし、このパターンがいつのまにか変わり、急性期病院から療養型病院へ転院を勧められたのです。「帰りたい」けど「帰れない」というより、このような流れは、もうすでに、「帰らない」ことに決まってしまうのです。そして、療養型病院に長期入院ということになります。
叔母の場合は療養型に入院中も携帯でのメールのやりとりをこっそり(看護師に見つかると怒られる!!)していましたし、まだまだ、「退院して〇〇したい」という希望を持っていましたので、何度も家に帰るという選択肢があることを話ましたが、結局は不安、心配、迷惑かける、という気持ちが勝ってしまい、実現せずに療養型病院で日々弱っていく身体を感じながら、昨日旅立ったのでした。
冒頭の話に戻りますが、ちょうど、テレビでそのような番組を見たことと、叔母のことなど重なり、最期に叔母のところに行った日、もうすでに意識レベルが落ちてしまった叔母の姿に涙が止まらなくなりました。「おばちゃん、私、もっと強引に連れて帰ったほうがよかったん?」そうかもしれないと、思いながら返事のない叔母に救われたような気もしました。
そして改めて自分のMissionを感じました。
「家に帰りましょう」
「私たちがサポートするから大丈夫!」
大きな声で叫ぶと、叔母が目を覚ますかもしれませんね・・・( ̄  ̄;)